
猿渡 歩見
Ayumi
SARUWATARI
- メンタルコーチ
- 理学療法士
自己紹介
幼少期から「いい子」でいようとして空回りし、いじめや職場での孤立、心身の限界を経験。NLPとの出会いで無意識のクセと言葉の使い方を整え、他者理解とセルフイメージの回復を支援する道へ。
施術3万件・コーチング500件以上。心配される人から信頼される人へ、人生の主人公を取り戻すサポートをしています。
経歴・学び
福岡県大牟田市出身。接客業歴23年 飲食・バー等11年を経て、理学療法士として7年病院・整形外科クリニックで勤務。現在は、整体・コーチング・カウンセリング・トラウマケアを統合して提供しています。
保有・受講:理学療法士/NLPプラクティショナー/NLPマスタープラクティショナー/メタプログラム講座ほか(整体・脳反射刺激療法・エネルギー整体・マーケティング等も継続して学び、統合しています)
1. 生い立ち
僕は、1歳の頃に両親が離婚しました。家庭が安心できる場所ではなかったと聞いています。
福岡市内から福岡県大牟田市へ引っ越し、母と、優しいけど気が強いおばあちゃん、無口で引き締まった体のじいちゃんと、4人で暮らしました。
親戚からよく言われていた言葉があります。「いい子にしなさい」当時の僕は、それがよく分かりませんでした。

2. いい子ってなに?
「怒られたことないのに、いい子ってどうすればいいんだろう」って。その感覚はいつしか、大人への怖さに変わっていきました。
機嫌を損ねたら居場所がなくなる気がする。何か間違えたら怒られる気がする。だから、空気を読んで、期待に応える。そうやっていい子でいようとする。
3. 甘えることができない
兄弟がいないこともあって、人見知りで、同年代と話すのが苦手でした。幼稚園の頃、隣のお兄ちゃんがよく遊んでくれて、年長さんのクラスでそのお兄ちゃんの隣に座って勉強していたくらいです。
それなのに周りからは、こんなことも言われました。「一人っ子はわがままだよね」「なんでお父さんいないと?」「お母さん独り占めできていいよね」
でも現実は、そんなに単純じゃありませんでした。幼稚園の頃は親戚のお姉ちゃんと妹が家に来ていて、母に甘えることもできなかった。

4.手がかからないが正解に
そして僕は、この記憶を 43歳まで忘れていました。思い出したとき、驚いたというより腑に落ちたんです。
「ああ、僕のいい子スイッチって、ここが原点だったんだな」って。「手がかからない」が、僕の正解になった。
母から「おねしょもしないし、病気もしないし、手がかからないね」と言われていました。
きっと褒め言葉として受け取っていたけれど、僕の中ではいつの間にかルールになっていました。
迷惑をかけないことが安心。手がかからないことが愛され方。
5. 空回りの原因
印象的な夜があります。母が職場の慰安旅行で家にいなかったとき、初めて高熱が出たんです。
その時に看病してくれたのは、おばちゃんとおじいちゃんでした。その出来事が、僕の心にこう残ったのかもしれません。
「本当にしんどい時ほど、頼りたい人はそばにいない」だからこそ大人になってから、頼られる側に回ろうとして、頑張り続けて、空回りしていったんだと思います。
6. 苦しかった経験と限界
苦しかった時期は一度ではありません。14歳のいじめを受けたとき。26〜27歳の役職があったのにスタッフに慕われず、強がって疲れ切り、仕事が回らなくなったとき。31歳で専門学校で馴染めない感覚が強く、起き上がれず何もできなくなったとき。
33歳以降で理学療法士として頑張るほど周囲と噛み合わず孤立し、仕事ができなくなっていったとき。
7.体は正直でした。
眠れない、起き上がれない、味がしない、いつも疲れている。話せない、聞けない。不安と無気力。世界から色が消えた感覚。
人が怖い。「普通に見せなきゃ」「よく見せなきゃ」が止まらなくなっていました。
頭の中では、いつもこんな言葉が回っていました。「早く良くならなきゃ」「迷惑かけちゃいけない」「お前なんて最悪だ」「誰も僕をわかってくれない」「いつも一人だ。頼れる人はいない」
限界のとき、心の奥ではただ一つでした。「どうすればいい?教えてください。お願いします。今、辛いんです。」
そこから変わるきっかけになったのは、心理の学び。完璧主義をやめること。自分と人の違いを認めること。喜びや嬉しいポイントは人それぞれだと受け入れることでした。
